乃木坂46高山一実の短編小説Web公開、挿絵は深川麻衣
キャリーオーバー
高山一実
僕は幼い頃、いじめに遭っていた。
“家が貧乏”という至って単純な理由だったが、原因がわかっていても改善のしようがないのが辛い所だ。例えば僕の服にはバリエーションがない。家に三着しかないプリントがはげ、色あせたトレーナーを何年着ただろう。
学校行事のクリスマス会で、千円程の予算でプレゼント交換をしようとみんなで決めたというのに、母が200円しかくれなかったことがあった。僕はクレーンゲームで大物ゲットを試みたが失敗し、手元には100円だけが残ったので、仕方なくわたパチを買って会に臨んだ。その日から僕はいじめられっ子のレッテルを貼られたのである。「お金が全てじゃないよ~」という正義の味方キャラも一人くらいはいてもいいはずだったが、僕には周りの奴らより優れている点が皆無だった故に『何もできない奴+【プラス】貧乏=【イコール】友達になりたくない奴』が完成してしまった。僕には味方がいなかった。
だからこそ金への執着は年を重ねても収まることはなく、むしろ成長と共に強まっていく一方だった。周りの奴らの体格が大柄になるにつれいじめの程度もエスカレートし、僕は完全に世の中から、人から心を閉ざした。力もない。頭もない。金さえあれば……金さえ……と秒刻みで繰り返していた。そんな地獄をなんとか耐えぬき、僕はようやく自分で稼げる日を迎えた。
働き始めた日から一ヶ月が経った日、帰りの電車の中吊りに目を奪われた。
【新世代ジャンボ宝くじ 一等賞金100億円!! 今なら感情ついてます】
「ひゃく、おくえんか……。」
これを手にすることができれば、僕に不可能はなくなる。体内から湧き出てくる妄想は歪んでいた。僕を散々いじめてきた奴らへの復讐だ。有り金でその手のプロを何人も雇ってそいつらの幸せを全部潰してやる。一人残らず絶望の淵に突き落としてやるのだ。僕は微笑みながら宝くじ売り場を探した。
宝くじというのは十枚で一セットになっており、複数枚買う場合には「バラ」と「連番」から選んだりするものだが、何しろこの宝くじは一枚三万円もするのだという。あまりにも高価だが、どうやら感情つきというオプション(?)がそれに値するものらしい。
「一枚一枚、性格も違って楽しいわよ~。ペットを買うって考えれば出せない額じゃないでしょう?」
窓口のおばさんは押し売りする感じではなく、柔和な笑顔に好感が持てた。幸いにして、僕は貰ったばかりの初任給を大事に鞄に入れていたので、それをこの一枚に捧げた。当選発表までは3週間。夢を買ったのだから、存分に見せてもらおう。
しかしまあ、感情つきという意味がさっぱりわからない。家に着いてから、言ってしまえばただの紙切れにすぎないそれを眺めていると、紙が独自の力で立ち上がった。
『この度はおいらを買ってくださりありがとうございます。』
「ひっ……喋った。」
これがこいつとの出会いだ。よく見たら真ん中に小さい切れ込みがあって、そこが口の役目をしている。感情つきというのはこういうことなのか。幼い頃から喋るという行為に嫌悪感を抱いていた僕は、不機嫌にならざるを得なかった。紙も僕の表情を見て、それ以上話そうとしなかった。
翌々日のこと、うっかりアラームをかけ忘れて眠りについてしまった僕は、いつもの起床時間を過ぎても布団にくるまっていた。
『あの……朝になったよ。あ、昨日君が起きてた時間を過ぎたから。迷惑だったらごめんね。一応報告です。』
超控えめな口調の3万円の紙によって僕は起こされた。結果その日はギリギリ遅刻せずに済んだ。少し助けられた感はあったが、調子に乗って冗舌な喋りを浴びせられても嫌なので特に礼は言わなかった。
一応100億円予備軍のこいつを、外に出る時は財布に入れて持ち運んだ。同じく財布に入れているSuicaを改札にかざす時、微妙な磁気がかかるらしく、毎回『わっ。』と声を出すのがうるさい。
僕は定期的に新世代ジャンボの口コミをネットでチェックしていた。
《感情機能いらねー。うちの宝くじうざすぎて破いたったww これで当選してたら泣けるんだがwww》
3万円で買ったものを破くなんて、そんなもったいないこと、僕には考えられない。目を瞑ると、100億という膨大な金に包まれた自分がくっきりと浮かんだ。幸せな顔をしている。大金を持つと、それをどこからか嗅ぎつけ、たかりに来る奴がきっといる。そいつに貧乏な奴をどう思うか聞いてみよう。格下に見るような態度を見せた瞬間、残虐な方法で始末してやるのだ。フフッ……。
目を開けると、100億円予備軍はこっちを向いていた。
『おいらは……君の味方だよ。』
聞こえたのに、その言葉を無視した。そのあと再び目を閉じても、何も浮かばなかった。
宝くじが来てから二週間が経った日、母さんは死んだ。この世でたった一人の家族がいなくなった。ずっと病気を患っていることは知っていたが、まさか手の施しようがないレベルまで悪化していたとは。うちには治療をするお金すらなかったのか。いや、きっと母は自分には一切お金を費やさなかったのだ。僕の学費、家賃や食費、そして父の残した借金の返済に稼ぎをすべてつぎ込み、通院を怠ったのではないか。母が命がけで創ってくれた生活。それを貧乏だと馬鹿にされ、いじめられ、暴行され、生きることにただ必死だった僕は、母さんの苦労に目を向けられなかった。金があれば……助けられた命。金がないと……金がないと……。
机の一番上の引き出しに、母は、手紙を遺していた。
息子へ
お母さん、あなたに贅沢をさせてあげられなかったこと、本当に申し訳なく思っています。沢山の我慢をさせてしまったでしょう。本当にごめんなさいね。お母さんを恨んでね。周りの人は大切にするのよ。優しくしなさい。そうすればきっと……きっと幸せになれるわ。あなたと過ごせた日々が幸せでした。ありがとう。
母より
僕は声をあげて泣いた。母を救ってやりたかった。宝くじはずっとそばにいてくれた。
『ごめんね、ごめんね。何もできなくて……本当にごめんね。』
と、繰り返しながら必死に涙をふいてくれ、悲しさに溺れながら僕は意識をなくした。
どのくらい眠っていただろう。目を覚ますと、宝くじはずっとそうしていたかのようにこっちをじっと見ていた。
『お別れの時間が来たみたいだ。』
「え?」
『今日は新世代ジャンボの当選発表の日。おめでとう。君は一等の100億円が当たりました。おいらを銀行へ連れて行って。そして、ごめんね……。もっと早ければ、お母さんを助けられたかもしれない。短い間だったけど、楽しかったです。君は、おいらの大切な友達。ずっと忘れないよ。』
ともだち。僕がずっと欲しかったのは、金だった。でもそれは金よりも価値のある物を見出せなかったから。
僕は銀行へ行かなかった。母さんがいなくなった今、僕には味方が一人しかいない。こいつといると心が洗われた。邪悪なことを考えるのがバカらしくなった。そして何より、楽しかった。この世は金が全てではない。この先、普通に働いて、地道に稼いで、幸せになってやるんだ。初めてできた、友達と一緒に。
【新世代ジャンボ宝くじ キャリーオーバー継続中 つもりにつもってなんと賞金八兆円!!感情つき】
当選者は未だに出ていないらしい。もっとも、僕みたいに名乗り出ないんだろうけど。
絵=深川麻衣
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